つながり合う
無関心の集合体
マンションは鍵一つで安心なセキュリティと共に、プライバシーに侵されることなく自由な生活空間が確保できるとデベロッパーなど売主を中心にその利点が語られる。たしかにそのような利点はありつつも、多種多様な価値観を持った人が隣り合いながら住んでいる集合体であることにはかわりなく、互いに干渉しない暗黙な生活ルールが存在してこそ平穏さを保つ事ができる。
ホテルライクな生活を求めてマンションに住む人、ファミリーで子育てに追われマンション住む人、ゆったりとした老後の暮らしを求めてマンションに住む人、年代層だけでは語られない様々な人々の暮らしがある。マンションの下に一緒に暮らすことに、求める価値もそれぞれだが、互いに強い連帯感をいだくほどの横の関係構築には関心が向かわないのが実情だろう。
無関心の仮面
隣り合う近所との適度な距離感に身を置くことで、マンションという集合体に自分の立ち位置を隠し、生活の場の平穏と安定を保っているといっていい。互いにその平穏さを脅かされることには敏感である反面、平穏を保つための暗黙のルールだけでは多種多様な価値観の前では用をなさないジレンマも経験していることだろう。そしてこのジレンマから派生する様々な問題が起きることも認識していると思う。マンションに住む人も互いに仲良くなりたいと思っているだろうが深入りはしたくない。めんどうな関係にはお互いなりたくないのが正直なところ。そこに共同住宅に住むからこその無関心を装うという暗黙のルールができあがる。
でも本質は、ただ無関心の仮面を被っているにすぎないのではないか。無関心を装う顔の向こうに「コミュニティが大切だよね」と言っている顔が見えるようにも思える。
でも本質は、ただ無関心の仮面を被っているにすぎないのではないか。無関心を装う顔の向こうに「コミュニティが大切だよね」と言っている顔が見えるようにも思える。
マンションのコミュニティって何
このマンションの多様な住民の暮らしを円滑にするための対象としてコミュニティ(共同体)ということがよく話題になる。確かにマンションはひとつの共同体であるからそこに良好なコミュニティが存在すれば何か暮らしにおいてプラスの作用がうまれるのではないかということである。暮らしにおいて平穏、安心と安全は担保しておきたいが、この担保は監視カメラや管理員だけで守られるものではなく、住人が住人を介して住人に働きかけるしくみが必要と感じていることは肌感覚と認識しているだろう。
良好なマンションの共同体(コミュニティ)とは何かという話になると、大雑把で曖昧な話に終始していしまうことがある。
親睦はコミュニティの本質か
例えばコミュニティの形成は先ずコミュケーションから始まるという視点から、触れ合い、交流する場を企画。とりわけお祭り、催事に参加、交流することにより親睦を互いに深め合うことがコミュニティ形成の目的だという。そのため子供は祭り行事に駆り出され、大人は祭り行事を仕切り地域を巻き込んでのイベントとなる。たしかに参加した人達の交流によって親睦を深めることになるが、参加しない、あるいはできない人達には何が残るのだろうか。参加した者のみが享受し、参加しない者は享受しないという親睦はそもそもマンションのコミュニティの本質だろうか。同じように趣味を共有しあう仲間が集会室を借りて発表会などの催しを企画するようなサークル系である。趣味をとおして仲間を広げることにより親睦を深め合うのは当事者同士には有意義な事だろうが、その趣味をとおした仲間が、仲間以外のマンション住民に対してコミュニティをどのように構築していくのだろうか。
祭りも催事も共通するのは「仲間づくり」である。マンションは多種多様な人が住む運命共同体である。趣味があろうがなかろうが、祭りに参加しようがしまいが、仲間だろうがなかろうが、ただこのマンションに住んでいるだけで結ばれている。だからこのマンションに住む住人すべてが享受し合う意識を根付かせる活動が求められるのではないだろうか。
親睦は確かに共同体(コミュニティ)を形成する一つの手段であるが目的ではないはずである。祭りや催事で親睦を深めた先にマンションのコミュニティとして何を目指すのだろうか。
なにも親睦を否定するわけではない。親睦自体がその目的であったとしても、その目的をもってさらにコミュニティ形成につながるきっかけであってほしいと思う。
そして、親睦の先にあるコミュニティの景色を描くことが出来なければ、コミュニティを
形成しているとは言えないのではないだろうか。
管理規約とコミュニティ活動
標準管理規約27条に管理費の使途項目からコミュニティ条項が削除された。
従来は「地域コミュニティにも配慮した居住者間のコミュニティ形成(に要する費用)」という項目が掲げられていたが、昨今のコミュニティ活動が本来のマンション管理に資するものどうかという疑念に応え、コミュニティ条項を削除するという形で改正されたことに注目している。
このことから、コミュニティ活動を管理費から支出しようとした場合、自分のマンション管理規約がこの条項に合致しているかどうかの判断が求められる。
後々のトラブルを避けるため、町内会費同様、このようなコミュニティ活動をする場合、マンション内で任意加入の緩やかな自治会を組織して会費を募る方が望ましいのではないだろうか。標準管理規約でいうコミュニティ活動とは清掃、景観形成、防災・防犯、生活ルールなど資産価値の向上を挙げている。あくまでも区分所有法でいう管理の範囲内の活動としている。
標準管理規約27条コメント(全文)
「従来、本条第十号に掲げる管理費の使途及び第32条の管理組合の業務として、「地域コミュニティにも配慮した居住者間のコミュニティ形成(に要する費用)」が掲げられていた。これは、日常的なトラブルの未然 防止や大規模修繕工事等の円滑な実施などに資するコミュニティ形成について、マンションの管理という管理組合の目的の範囲内で行われることを前提に規定していたものである。しかしながら、「地域コミュニティにも配慮した居住者間のコミュニティ形成」との表現には、定義のあいまいさから拡大解釈の懸念があり、とりわけ、管理組合と自治会、町内会等とを混同することにより、自治会費を管理費として一体で徴収し自治会費を払っている事例や、自治会的な活動への管理費の支出をめぐる意見対立やトラブル等が生じている実態もあった。一方、管理組合による従来の活動の中でいわゆるコミュニティ活動と称して行われていたもののうち、例えば、マンションやその周辺における美化や清掃、景観形成、防災・防犯活動、生活ルールの調整等で、その経費に見合ったマンションの資産価値の向上がもたらされる活動は、それが区分所有法第3条に定める管理組合の目的である「建物並びにその敷地及び附属施設の管理」の範囲内で行われる限りにおいて可能である。
マンション住民の相互扶助
コミュニティの定義自体が様々だ。様々なのは問題ではないが、様々にとれる解釈が曖昧さを生み、あれもこれもコミュニティだと言わんばかりとなり、本質を見間違うことを恐れがある。例えば地域コミュニティという定義だけでもまちまちで、地域コミュニティの定義を示している自治体は少ない。その中である自治体の地域政策課は定義の解釈の多様を認め、その中でコミュニティの求められる機能のひとつとして「地域問題解決機能」を挙げている。
【地域問題解決機能】
「地域住民のニーズを反映した、住みよい安心・安全な地域社会を実現するため、個人や家庭、地域が直面する課題について地域住民自らが発見・把握・共有し、相互に協力して解決する機能」具体例として「住民相互の扶助」
マンションはその地域にある「村」でもある。地域をマンションという言葉に置き換えるとマンションのコミュニティの目的が何となく見えてくる。そしてマンション住民の相互扶助という具体例も見えてくるのではないだろうか。つまりマンションの住民がマンションの住民を助け合うという、いたって当たり前のように見えるが普遍的なコミュニティの姿だ。ただ、それをマンションという場で見える形として残し、意識として住民に根付かせるしくみを構築するのは言うほど簡単ではない。
つながっている安心
コミュニティのセーフティネット
これらの人々の姿はやがて来る自分の姿でもある。だれもがやがて老いを感じ、気づけば隣近所誰もが老人という時がくるかもしれない。若い頃は助ける立場であったのも知らぬ間に助けられる立場になっていることもそうは遠くないはずだ。助けたり助けられたりした事を思い出すとき、そこにあったものは「おたがいさま」の相互扶助の精神ではなかっただろうか。
お互いが助けたり、助け合ったりすることが当たり前であった時、助けを求めれば応えてくれるという安心感、助けを求められれば皆で助け合うという暗黙の関係。あるいはこのマンションの住民でよかったと思えること、自分はマンションの住民とつながっていると実感できることがマンションのコミュニティの根幹ではないだろうか。それはマンションコミュニティのセーフティネットでもある。マンションとマンション住民からなる相互扶助による「きずな」によって皆がつながり合っていることが実感できる。このことがコミュニティを支える本質のように思える。
声かけと見守り
では、このマンション住民を互いに支え合うしくみ、きずなが実感できる施策とはどのようなものがあるだろうか。相互扶助とそれを支える世代間交流がテーマとなろう。
・買い物に行けないお婆さんに声をかけ一緒にお買い物を誘う
・ひきこもりの世話をしているお母さんに声をかける
・子育てに悩む若いお母さんに相談相手として声をかける
・高齢の老夫婦に困りごとがないか声をかける
・住民間のトラブルに悩む人に声をかける
・住民に声をかけ、マンション廻りを掃除する(草取り、掃除)
・マンション周辺の防犯見回り
・子供、高齢者の見守り
ここに祭りや催事の後に経験する高揚感はない。淡々とした声かけと見守りだけである。
きずなを感じ合う
先ずは声かけから住民を知る、知ってもらうことから始める。そしてこの声かけを実践的に行えることを住民共通の決まり事として認識するところからコミュニティを形成する第一歩としたい。マンション住民の相互扶助を機能的に行えるしくみを有志達が集まって話し合うのもいい。その中で「この指とまれ」の有志同士で緩やかな自治会を組織してもいい。試行錯誤であってもいい。できる範囲とできない範囲をきめればいい。そしてガンバリすぎないこと。
自分のマンションに考えられる相互扶助の形をイメージしながら、マンション住民の高齢化に伴う支援、子育てに悩むお母さんの支援、子供への見守り支援、「見守りと声かけ」を持続的に行える事ができるマンションの住民はきっとマンションに守られていると感じることができるのではないだろうか。マンション内で解決できるものとできないものは当然でてくるが、行政からの支援、地域からのからの支援、相談がスムーズに行えるような組織まで意識を高めることが必要となる。各マンションにより、濃淡の差はいろいろあるが、親睦を超えて、皆が関わり(きずな)を持って暮らしているという実感。これがマンションのコミュニティのひとつの形であり、コミュニティのセーフティネットでもあるような気がする。
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