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2021年12月29日水曜日

岡山で初めてのマンション

1970年10月 岡山初のマンションが誕生

万国博覧会

 1964年(昭和39年)東京オリンピックが開催され、日本中が高度経済成長に湧き、所得倍増計画で誰しもが中流階級として安定的な生活を享受し始めて6年後、1970年(昭和45年)に大阪万博が開催されました。日本各地に大規模な公営団地が立ち並び、民間の分譲マンションの黎明期のころです。マンションストック数も右肩あがりを続けて全国でその数は約94.3万戸となっていました。その年に岡山県ではじめてのマンションが誕生しました。今から51年前のことです。

NK内山下コータース

NK内山下コータース
 岡山市北区内山下に岡山初のマンションが完成しました。その名は「NK内山下コータース」
コータースとは現在では福住の家造りの総称とされますが、QUARTERSの本来の由来は、中世ヨーロッパの上流階級の格式高い住まいの象徴がその語源となっているようです。まだマンションということばが一般的ではなかったこの頃、時にこのような独特な呼称が与えられたことに、この建物に対する強い想いが伝わります。NKは何の略でしょうか。
650㎡の敷地面積に7階建て、RC造り、31戸、40~60㎡の2LDKの専有面積を有します。分譲価格は550万円~900万円、平均面積と平均価格は48.45㎡と600万円。坪単価30万円。最多価格帯は800万円の物件でした。
1階を赤レンガ風、2階以降を白を基調としたこのマンションは現在でも存在しており、外観を見る限りとても半世紀前の建物とは思えないほど整然としています。現在でも。不動産情報などで、その詳細を知ることが出来ます。
その後、1972年に地元の不動産会社角南が4階建てRC造り32戸「角南豊成フォートレス」を分譲したことにより、岡山にマンションの波が到来していくことになります。

マンション開発の波からオイルショックへ
 1973年(昭和48年)3月には地元の不動産会社三長商事が岡山市北区に「いわいサンコーポ」を分譲。7階建てRCで189戸を分譲、初の大規模なマンションとして登場。続く8月には中区に「メゾン操山」が分譲を開始しました。7階建てRCで91戸、特に平均専有面積は70㎡を超えるなどファミリー向けの大型マンションとして注目されました。この時期は岡山にとってはマンションの黎明期だったのでしょう。
1970年に始まったマンション建設の波は、その後1972年に1棟、1973年に8棟、1974年に9棟とその数を順調に重ねましたたが、1973年から始まった第1次オイルショックにより市場は低迷。その後は1975年に1棟、1976年には3棟にとどまりました。

倉敷富井フォートレス
倉敷市初のマンション

 では、倉敷市で初めてのマンションはどうでしょうか。
1973年7月に「倉敷富井フォートレス」が分譲を開始。6階建てRC、水島臨海鉄道に沿うように建てられ、赤い屋根が特徴です。敷地面積1454㎡、専有面積32.9㎡~53.2㎡(2DK~)で64戸、坪単価34万円、分譲価格295万円~595万円で最多価格帯は400万円台で分譲されました。
このマンションが倉敷市ではじめてのマンションといわれています。



このブログは下記の文献を参考にしました。
 混迷する中古マンション流通市場
 麻賀又彦著
 大学教育出版

岡山市マンション管理実態調査

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